祖川真兵衛総本家の歴史

天保から令和へと続く祖川家の歴史

1830年代 初代祖川真兵衛が鶴屋旅館の母体というべき船宿を創業。

江戸時代の志佐村の地図・長崎県北松浦郡志佐村浦免

祖川真兵衛が長崎県松浦市に船宿を作ったのが始まりと言われております。

松浦水軍が寝泊まりしてたのかも。

大正6年2月13日忌日
大正9年6月28日忌日


七代目 祖川真一郎

祖川蓮志郎・祖川恭太郎

コトヒラジンジャ・ダザイフテンマングウ

  • 1920年大正9年)、ハワイ在留邦人漁師を中心に布哇金刀比羅神社を鎮祭。
  • 1921年(大正10年)11月13日、キング街ウォルターレーンに社殿形式の神社を建立。
  • 1930年昭和5年)
    • 8月、白崎八幡宮を相殿に勧請する。
    • 10月、大瀧神社を相殿に勧請する。
  • 1932年(昭和7年)1月27日、現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年)12月7日、真珠湾攻撃が始まると第3代宮司磯部節は抑留される。
  • 1943年(昭和18年)11月、磯部節は日本に帰国。
  • 1950年(昭和25年)5月18日、敵国財産として没収された神社の敷地回復訴訟で勝訴す。
  • 1952年(昭和27年)7月24日、福岡の太宰府天満宮を勧請。
  • その後、ホノルルのパラマ稲荷神社・海津見神社・水天宮を合祀。
  • 1986年(昭和61年)11月2日、新社殿竣工。
  • 1990年平成2年)1月14日、総会で現社名に改める

祖川一郎の兄弟・静祐の娘、「きょうこ」が嫁いだ神社です。
漁師からの転職してヨシノブイサが建立
ハワイに行かれたときはお立ち寄りください。

作詞作曲 木野ふみを

招く松浦 みどりの風に
呼べばあの娘の あですがた
庭の泉水 ひ鯉に真鯉
そっと寄り添う 仲のよさ
アレサ 鶴屋は仲のよさ

名さえうれしい あの志佐川の
水で育った 銀の肌
いとし鮎なら なつかし香り
したもとろける 味のよさ
アレサ 鶴屋は味のよさ

たとえ一夜の 旅寝にしても
交わすさかずき えん結び
鶴は千才よ また逢う日まで
あつい情は わすられぬ
アレサ 鶴屋はわすられぬ

伝説の料理人・中村友文氏・中村健吾氏